村上春樹
かわいそうなル・クレジオ。おいおい
残念ながら村上春樹。ノーベル文学賞はひとまず置いといて、「ノルウェイの森」映画化にはいまだに納得できないでいる。
”世界的な作家を批評している人たちのうち、自分の批評的な文章が「日本以外の国々の読者に読まれること」を想定して(せめてそれを希望しつつ)作文している人間が何人いるだろうか”
「私は蓮實がそうしたら、その気概に深い敬意を示す」/私も残念。村上春樹氏には今まで通り健康的な生活で長生きして欲しい。いつかとれる。
「死者とのコミュニケーション」
村上春樹氏
批評の仕事、世界への筋目の通し方について
黒澤も小津も北野も井上も村上も鳥山も「世界各国、言語も宗教も政体も風俗も異なる数億の読者を想定」していた/いるとは到底思えないけどね。
文壇のライフはとっくにゼロよ!
ふふふ、そう言われると、確かに面白そうだ、ノーベル賞の発表。
村上春樹を消化し切れなかった日本の批評家に対する批評。所詮批評家ってのは全部後追いですわ。
蓮實さんにはぜひそういってほしい。
批評を批評されるのを嫌う批評家が多いからなぁ…/ラノベ批評家でありラノベ作家でもある本田透氏も批評家は作家の半歩後ろを歩く、とおっしゃってたっけ。批評家の考えうることの殆どは作家が既に考えたこと。
「その説明責任を負うだろうと私は思っている」……今回の「村上春樹批判者批判」についてもそうだね。
『自前の文学理論にあてはめてすぱすぱと作品の良否を裁定し、それで説明できない文学的事象は「無視する」というのなら、批評家の仕事は楽である。だがそんな仕事を敬意をもって見つめる人はどこにもいないだろう』
「世界的な作家が何を考え、どのような技術を練磨しているのか、それを批評家たちは想像できるのだろうか。」
ハルキさんの作品はエッセーしか読んでないのでコメントは控えます/日本の批評家は世界に向けた言葉を綴ってない、という指摘には同意。d:id:TomoMachi氏も映画評論家に対し、似たような苦言を呈してたのを思い出した。
“批評家というのは「説明できないこと」にひきつけられる知性のことではないのか。”
この媒体の書き手が想定している読者は編集者と同業者と、将来編集者か作家か批評家になりたいと思っている諸君だけである。
異質なものを創造するどころか批評することすらできないってことだね
村上春樹に対する否定的な評価というのは、スノビズムの一種だからね。著名な批評家・作家に限らず、2chにもいっぱいいるじゃないですか、そういうスノッブは。
あほか。「スウェーデン・アカデミーもまた詐欺に騙された。どいつもこいつもバカばかりである」って言うに決まってんだろが。もっと下品な言葉かも。
内田センセがこのネタを未来永劫書き続けるためにも、村上春樹はノーベル賞をずっと取らなくてもいいよww。
内田先生さすが
毎年文学賞発表前後にこのぶくまが伸びて、最終的には5年後とかに1500ぶくまくらいになって村上氏が受賞する展開を期待する。
ほへぇとなった
以下、来年に続く。
『そのような身内相手の「内輪の符丁」で書くことに批評家たちはあまりに慣れすぎてはいないか。』←この指摘が重要に思う。そこに「発見」はあるのかい?という。
蓮實が春樹に対する意見を変えたりはしないと思うけど。著名な映画賞を獲った映画を認めてるタイプでもないし。それはともかく、"批評家というのは「説明できないこと」にひきつけられる知性のことではないのか。"
楽しみにして待っていましょう(^^;).
まあ芥川賞(直木賞でもいいけど)を与えていないことはマイナスだよな。
美しい日本の私(川端)→あいまいな日本の私(大江)→やれやれな日本の私?(村上)/※結果→http://nobelprize.org/nobel_prizes/literature/laureates/2008/
"自分の批評的な文章が「日本以外の国々の読者に読まれること」を想定して(せめてそれを希望しつつ)作文している人間が何人いるだろうか。”
論壇が村上春樹を無視し続けてるのは事実だし。内田樹氏の意見に共感するおいらは、もちろんハルキスト(笑)
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コメント
村上春樹
かわいそうなル・クレジオ。おいおい
残念ながら村上春樹。ノーベル文学賞はひとまず置いといて、「ノルウェイの森」映画化にはいまだに納得できないでいる。
”世界的な作家を批評している人たちのうち、自分の批評的な文章が「日本以外の国々の読者に読まれること」を想定して(せめてそれを希望しつつ)作文している人間が何人いるだろうか”
「私は蓮實がそうしたら、その気概に深い敬意を示す」/私も残念。村上春樹氏には今まで通り健康的な生活で長生きして欲しい。いつかとれる。
「死者とのコミュニケーション」
村上春樹氏
批評の仕事、世界への筋目の通し方について
黒澤も小津も北野も井上も村上も鳥山も「世界各国、言語も宗教も政体も風俗も異なる数億の読者を想定」していた/いるとは到底思えないけどね。
文壇のライフはとっくにゼロよ!
ふふふ、そう言われると、確かに面白そうだ、ノーベル賞の発表。
村上春樹を消化し切れなかった日本の批評家に対する批評。所詮批評家ってのは全部後追いですわ。
蓮實さんにはぜひそういってほしい。
批評を批評されるのを嫌う批評家が多いからなぁ…/ラノベ批評家でありラノベ作家でもある本田透氏も批評家は作家の半歩後ろを歩く、とおっしゃってたっけ。批評家の考えうることの殆どは作家が既に考えたこと。
「その説明責任を負うだろうと私は思っている」……今回の「村上春樹批判者批判」についてもそうだね。
『自前の文学理論にあてはめてすぱすぱと作品の良否を裁定し、それで説明できない文学的事象は「無視する」というのなら、批評家の仕事は楽である。だがそんな仕事を敬意をもって見つめる人はどこにもいないだろう』
「世界的な作家が何を考え、どのような技術を練磨しているのか、それを批評家たちは想像できるのだろうか。」
ハルキさんの作品はエッセーしか読んでないのでコメントは控えます/日本の批評家は世界に向けた言葉を綴ってない、という指摘には同意。d:id:TomoMachi氏も映画評論家に対し、似たような苦言を呈してたのを思い出した。
“批評家というのは「説明できないこと」にひきつけられる知性のことではないのか。”
この媒体の書き手が想定している読者は編集者と同業者と、将来編集者か作家か批評家になりたいと思っている諸君だけである。
異質なものを創造するどころか批評することすらできないってことだね
村上春樹に対する否定的な評価というのは、スノビズムの一種だからね。著名な批評家・作家に限らず、2chにもいっぱいいるじゃないですか、そういうスノッブは。
あほか。「スウェーデン・アカデミーもまた詐欺に騙された。どいつもこいつもバカばかりである」って言うに決まってんだろが。もっと下品な言葉かも。
内田センセがこのネタを未来永劫書き続けるためにも、村上春樹はノーベル賞をずっと取らなくてもいいよww。
内田先生さすが
毎年文学賞発表前後にこのぶくまが伸びて、最終的には5年後とかに1500ぶくまくらいになって村上氏が受賞する展開を期待する。
ほへぇとなった
以下、来年に続く。
『そのような身内相手の「内輪の符丁」で書くことに批評家たちはあまりに慣れすぎてはいないか。』←この指摘が重要に思う。そこに「発見」はあるのかい?という。
蓮實が春樹に対する意見を変えたりはしないと思うけど。著名な映画賞を獲った映画を認めてるタイプでもないし。それはともかく、"批評家というのは「説明できないこと」にひきつけられる知性のことではないのか。"
楽しみにして待っていましょう(^^;).
まあ芥川賞(直木賞でもいいけど)を与えていないことはマイナスだよな。
美しい日本の私(川端)→あいまいな日本の私(大江)→やれやれな日本の私?(村上)/※結果→http://nobelprize.org/nobel_prizes/literature/laureates/2008/
"自分の批評的な文章が「日本以外の国々の読者に読まれること」を想定して(せめてそれを希望しつつ)作文している人間が何人いるだろうか。”
論壇が村上春樹を無視し続けてるのは事実だし。内田樹氏の意見に共感するおいらは、もちろんハルキスト(笑)