society
ずいぶんと受ける印象が異なる文章になってるなとは感じた。悪意の有無は別として。
「生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならない」
この記事http://www.news.janjan.jp/media/0802/0802150846/1.phpと合わせて読むと、バランスがとれて思考の際役立つ/「1.読者の意見を変えるな 2.最も大事なテーマだけに絞り込め 3.誰が読んでもわかる文章にしろ」
5分や10分で修正するのを「編集」と呼んでいいのかは別として、ほぼ99%の文章は本人に書き直さしても他人が手を入れても決してよくならない。とはいうもののオリジナルだから価値があるわけでもない
一応確認の手続きを取ってるから捏造とは思わないけど、一般論として「政治家および有権者の心構え」的な話をしようとしてるのに特定の誰かの悪口を言いたいかのように直されたら普通、気に入らないよ。
反論記事。
これは判る。
「プロの作家にさえ編集者がついてるのに、素人の我々が編集を拒むって何事だ」 / うーん。元記事読んだ。「編集」なのかなあ。ちょっと行き過ぎ感が。 / 編集が当たり前だったシステムと、編集不在のシステム。
|生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならないんだよ。/生の声は、結局は対面コミュニケーションか、アングラなメディア止まり。| 実体験からの声としては貴重。ただ「編集」の枠内かで紛糾している。
元記事の修正を「特に問題ないレベル」と言い切るところがすごい。「多くの国民は…無力感を感じた…そして…気づき始めたのだろう」の件なんて、使ってる単語が同じだけで主張は全く異なる。
編集者がいい意味でのボトルネックになってくれたら、発言者もやりやすいんだろうなぁ
安く雇ったライターさんの文章だと全文リライトはざらにある
まとめたお。生肉もソーセージも(゚д゚)ウマー。
http://tinyurl.com/yrlbdz http://tinyurl.com/yqp5hh http://tinyurl.com/ysa7zr http://tinyurl.com/yvdble http://tinyurl.com/2uk2hk http://tinyurl.com/yppb9k http://tinyurl.com/2hhauf http://tinyurl.com/35l4ag http://tinyurl.com/2vzn98| あと、CJRでCNN関連調
>流暢な日本語 わらた
「投稿コーナーは、そもそも採用されるかどうかを相手に委ねている時点で、言いたいことをそのまま書ける場所では無いかと。」投稿という形状を取る以上、声の生殺与奪は編集に任される。それが嫌ならWebを使おう。
ううむ
元記事からだけど、著者に確認したら捏造じゃないんじゃないかな。確認しないから問題なのであって。
論点がいろいろあってわからなくなってきました
『読者の主張を変えずに、より多くの人に意味が伝わるようにわかりやすく直してるだけだ。』いや、ニュアンスぜんぜん変ってるから!でもそういう意識なんだろうな、というのが良くわかる内容で参考になった。
やぁ、今日も楽しく炎上していますねぇ。楽しそうで何より
あんな低レベルな煽動・クレーマーに対して過ぎた解説。おつ
メディアの内側から発想になるほどと。(追記)編集されていない生の意見はコメント欄でお楽しみ下さい。
これを利用していろいろと練習してみるのが良いとか思った。採用されるような当たり障りのないどうとでも取れるような文章を書くのが難だが。/責任体制とかどうなってるのか知らないので知りたい。
生のままじゃ使えないというのは分かるけれど、改変(編集)したことを明示しないのはダメでしょ。そうでなければ、アサヒったのを隠蔽するばかりになる。
言っていることはわかるが、政治家全般に対して言っている原文から自民党のみにして政権批判にしてしまっているのは論点のすり替えとは言わないのだろうか?
本題から外れるが「悪いのは(中略)ディレクターでしょう」これは簡単には言えないと思う。エイベックスとの力関係でとか、編集できない理由は色々思いつく。
件のコメントは「読者の意見を変える」に相当するとは思うけど、事前確認のうえ載せてないのなら問題ないと思う。"生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならないんだよ。"については同意。
貴重な実態話。編集論は意図は解るものの現状のていたらくでは首肯できない/「生発言の時代になると、喋りのプロだけがもてはやされる傾向を危惧。ケネディの選挙の頃みたいな」既になってる。橋下とかオバマとか。
業界の常識としては理解できる。他の業界でやれば不当表示であり、業界の悪癖といっていいだろう。「『声』の原稿」と「作家の原稿」が等しく編集されるべきとは思わない。編集するなら「読者に聴きました」としよう
ネットの「生の声」って要するに2chのカキコやmixi日記なんだけどな。あんなもんそのまま載せられるか!/ブログ記事ってなんだかんだで少数のリテラシーあるひとが書くもの。読者投稿はそんな程度じゃない。
政治家はしゃべりのプロじゃないのかなぁ。しかし編集が必要なことはよくわかる。真実だと思ってることは大抵が編集されてる。一次情報に当たれることは人生でそうそうないはずだし。
ブログやネットで生の声に慣れると、こういう編集方針は不可思議に思えてくる。文体の編集は当然と思うけど、中身の補強などは本当に必要なのかなあ。
郵政解散を追加している所が郵政選挙社説で翼賛体制を明るみにした朝日新聞らしい.
「生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならないんだよ。」 元記事へのリンクもあり。新聞の文章改変ぶりにも驚いたが、ちゃんと事前確認とることにもっと驚いた。もっとひどいと思ってたので。
public opininon?
//編集は確かに大事だ。新聞は万人向けのメディアだし。素がいいならネットしか見なければいい
これ見て以前某ドラマでのSEの姿が現実と全然違うとか騒いでる人を思い出した。まああっちはフィクションドラマだったけど、たとえ報道でもマスコミってのは編集/整形された情報でないと商品にならないの。
商業メディアに載せる文章とブログに載せる文章との違い、、についてはあまりなかった
まあスタンスは納得するけど、投稿コーナーが充実しているラジオや雑誌は良質の投稿者を育てるいろんな努力をしていたわけで、今後の厳しい新聞業界、投稿者の意思を尊重する投書コーナーとなったほうがよさそう
素人さんの書いてきたものはそのまま使えないから、この記事に書かれている3点を守って書き直すのは悪いことではないと思う
janjanの記事を読んだとき これはひどい と思ったが、この記事を読んで このくらいはアリなのか と思ってしまう。他人の意見に流されやすい自分を発見したorz
自分の場合は修正してもらう事を前提で書くんですがね、なんせ文章書くの下手ですから。
少なくとも、改訂語は確かに「誰が読んでもわかりやすい文章」ではある。
捏造ではないかもしれないが印象操作に他ならない。長年新聞社の中にいて染まってしまったんでしょう。
大学時代、某新聞社で読者の声欄の原稿修正の手伝いをしていた。もともとは、催事紹介などの雑多な記事を書いたり、電話番をしたり、郵便物や資料の整理をする仕事としてバイトを始めた。
読者(≒投稿者)と編集者の「編集」という作業に対する認識には結構大きな差があるんです、という話なんでしょうかね。
「最近みんな、目立つ人や大企業に対して怒りっぽすぎるよね」今まで埋もれていた怒りが、誰にも編集されないブログや掲示板によって可視化されてきてるだけだと思う。
洗練された文章と意図的に修正された文章の境目が常に曖昧な形で提示されると。でもその判別がつかない状態は「読者の声」欄としての本来の機能を果たすのかな。
いっそのこと「読者投稿バラエティ」とかに名前を変えればいい。
weblog
ヘタクソな意味不明の文章を読まされるのはかなわん。私も人並みにマスメディ嫌いだが、「あるレベルに達していない文章は世に出せない」という気持ちは解る。プロとしてのこだわり。
>この修正は特に問題ないレベル。生の声は編集が重要で、しないと万人向けのコンテンツにはならず対面コミュニケーションかアングラ止まり。逆に生の声はどんなこと言ってもおかしくない、ともっと大目に見るべき。
俺もこの件は「1.読者の意見を変えるな」に当たると思う。編集の是非というより、だめな編集の例ってことかな。
焼かなきゃ食べられないのはその通りだけど、秋刀魚のワタ(キモ)を取り除いちゃダメでしょ。あと、たまに塩かけ過ぎ。ひどい時はよくわからんアジアンエスニックになってる。
chintaro3、Roo、uzakihsoy-kと同意見。読者の記名がつくなら文章の主眼を変えちゃいかんだろ。ちなみに修正後の文章は個別具体すぎて、良くある政治批判でつまらない。俺は国民に意識を問う前者の文章のほうが伝わったよ。
>もっと、編集の重要性を認識した方がいい。
『最近みんな、目立つ人や大企業に対して怒りっぽすぎるよね。』思う思う。
編集の重要性はわかるのだけど、件の記事については同意できないな。
投稿された文章を文意を変えずに読者へ伝えるための改変は必要であるという主張。改変の基準は同意できるが、本人の声と他者による改変の区別が全く無くなっている事が問題では? 事実と事実以外の区別が曖昧。
概ね同意
人の手が入らない印刷物は、存在しないということうを、改めて認識。「投降文をそのまま」と「現行修正したもの」を併記して載せるくらいしないと解決しないだろうな。http://www.news.janjan.jp/media/0802/0802150846/1.php
ミソもクソもいっしょくたのルールで改変しても良いような新聞だから読まない人が増えているんじゃないの。
捏造批判は的外れだし、3つの注意点もいいが、編集前後で「言ってること同じジャン」という反応になっていない。これで「意見を変えていない」と言えるのか?/「投稿者連絡先が書いてないものは即捨てる」
万人に真意を伝えようとすれば「第一稿」に大幅な修正を加えなければならないことは,文章を書く人間なら先刻承知のことなんだけどね.
活字メディアには「文字数」という絶対的に勝つことのできぬ敵があってだな。ヨミもアサも春から文字級数上げるんだからさらに「編集」されますよ?/マスコミ嫌いなのにニュースソースをマスコミから貰う人々
総じて同意。素人とかありのままが礼賛される昨今の傾向には留保が必要という事。ただ元記事も、新聞がどういうリライトをするのか、という遅れた現状を明らかにした部分で評価。捏造とか誘導は言い過ぎだけど。
「格差の原因は構造改革」は誤りです。編集するならそこを修正するべきです。校正レベルよりも、事実の誤りなのですから、これを放置するのは重大な「捏造」ではないでしょうか?
新聞の投書欄は映画の宣伝の「○○サイコー!」「泣きました」とかと同じ手法かとばかり
新聞の読者欄への編集について。この記事を読んで、ネットのすばらしさを改めて痛感。
概ね同意。これに関しては編集後の内容が悪くない。ただ、生原稿にダメ出しされたことが癪に触ったんだろう。気持ちはわかるが、「捏造」で片づけるのは感情論の域を出てない気がする
「なんか、最近みんな、目立つ人や大企業に対して怒りっぽすぎるよね。」同意。いつの間にやらギスギスした世の中になりました。
具体的で強く伝わる表現=万人向け ってこと?その基準に合いさえすれば、自分の会社にとって都合の悪いものでも載せてるっていうならあんまり問題ないように思う。
1.読者の意見を変えるな 2.最も大事なテーマだけに絞り込め 3.誰が読んでもわかる文章にしろ。 テーマを1つに絞り繰返や無駄な例示、脱線部分等を削る。文体を整え指示語を減らし具体的な情報を盛り込む。
読者ハガキを掲載する雑誌や、読み上げるラジオと違い、新聞社は紙面素材のひとつとして投稿文を改変するという社内常識がひとつ開示された
「元記事の方は新聞が万人向けのメディアであることを忘れているのではないか?」という主張。編集されたくなければ、今はブログというツールがあるじゃないか。
それだったら投稿文ママ載せて編者返答を添えたほうがいいような気がする。紙面足りない?
『生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならない』/所詮「生の声」は素材に過ぎず、散漫としすぎている。それに優先順位をつけ、論理的にまとめ、一人でも多くの人に声を伝えるのが編集だと思う
「生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならないんだよ」道理で文体が統一されすぎていると思っていたw まぁせっかくの良意見なのに、読者が読んで分からないような書き方だったらもったいないよね。
「編集済みの読者の声欄」というタイトルにしておけばいいよね。/赤井邦道の時も修正されたのだろうか?
[!GTD::資料(いつか読む)]新聞社で読者投稿欄の原稿修正をしてた者ですが - くろいぬの矛盾メモ
ネットの個人Blogや掲示板と、新聞などの公共のメディアが担っている役割は違うということを認識しなければならない。
ルポの基礎
逆に生の声なんて、どんなこと言ってもおかしくない、ってことでもっと大目に見るべき。
「読者投稿欄はこう編集します。それで万人向けに成ります」とことあるごとに説明してないからでしょ。「大企業に怒りっぽい」って矛先が変。毒されてる。
「しゃべりのプロだけがもてはやされる傾向を危惧している。」同意/編集されることを納得させる責任はあると思う
やっていいかどうかよりも、誤字脱字以上の修正を「やったほうがいい」と感じる感性が理解しがたい。
やっぱ乖離してるなぁ。『読者の声』である以上、誤字脱字・句読点の打ち直し以外の編集は無い物だ…ってのが、読み手の認識なのだが。//編集しなきゃ使い物にならないって、実は読者投稿量ってそんなに少ないの?
投稿者の主張をさりげなくすり替えてることにマスコミ自身が気づいていないところが怖い。
校正はいいけど、編集されたのは読者声ではなくなってしまうのでは? TVの該当インタビューがTV局の都合の良いように切り取られているのに似ている。
これは良エントリ。言い換えればこれからのユーザ主体生の声社会にはユーザ側に高度なリテラシが要求されるという。
※欄参考になる。/「万人に伝わる」←ダウト。新聞社がその性質上万人向けの文章にしたいだけ。要はインテリ無視すれば、編集者から見てレベルの低い文章でも、投稿者が声を伝えたい層にはちゃんと伝わる。
2chは編集済みまとめサイトしかみない自分だけど、ライブ!サイコーな人が編集の重要性とか嫌うんだなって理解した>「生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならないんだよ」
米欄の意見そのものが素人過ぎる。だから推敲される必要があるのだという事を自ずから証明してくれている例。
"目立つ人や大企業に対して怒りっぽすぎる" 正直このエントリーに同感。一人で生きてるんじゃないのだから。
生の声は万人向けのコンテンツにはならないけど、読者の声欄が万人向けな必要があるのかなぁ。/この件、「編集」という言葉は違う気がする。「校正」かな?
新聞とはこれまでずっとそういうメディアだった、何を今更、ということ。新聞の時代が終わったことを理解した。
紙面が限られている以上編集は必要。ただ意識的/無意識的に歪められた主張により意図せざる方向に世論が誘導される恐ろしさを感じる。果たして人間の精神はその影響から中立で居続けられるだろうか。
“生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならないんだよ。生の声は、結局は対面コミュニケーションか、アングラなメディア止まり。”言論装置としてのブロゴスフィアの意義と限界、という話にも通じるか。
編集されること極端に嫌うようになった それは 時代の流れであり必然だと思う。GPLがみんなを駆逐していったように。
うーん、編集することで「読みやすく」なってはいるけど、「随筆」が「アジビラ」に化けたような印象がある。それが悪いとは言わないが、どうせならよりユニークな意見を読みたい。
『生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならないんだよ』ここ重要だな、「万人向け」と「生」の価値観がネットと乖離してるのか/編集:「元記事は問題ない、問題なのは格差社会、編集重要」(ごめん)
編集は必要、編集を経ていることを知ることはもっと必要
"編集の重要性を認識した方がいい" 編集したものを先方に確認させていればNPではないかな。
立場立場でモノを云い。
狙い目の裏側に嫌悪感を覚える記事
生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならない
「逆に生放送、生発言の時代になると、しゃべりのプロだけがもてはやされる傾向を危惧している。」
同意。ネットの影響か、「マスコミ憎し!」で針小棒大に事を荒立てる人の多いこと
自分も雑誌掲載の経験が何度かあるが(原稿用紙数枚レベル)、一字一句そのままだったぞ。「編集」のあまり必要ない原稿を選んで載せれば済むことだろうに。素人の投稿欄なんか素人らしくて構わないじゃないか。
"生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならないんだよ"
編集っていうより、一番都合のいい文章を投稿した人を選んできて、記事に仕立ててるだけな気がするけどね。
校内報に書いた原稿が教師に勝手に書き直されていたのを思い出して、なんかモヤっとしたからあとでまた読む。
俺の渾身の立て読みを台無しにしやがって!!!(嘘 / 立て読みは縦読みの誤りでした。訂正してお詫び申し上げます(爆
編集後の読みやすさか、編集前の原文か。ネットリテラシーにも関わることかも。ただし文字で伝えられることには限度があり、著者の思いをすべて汲み取るのは、誰が書いたどんな文でも難しい。
まあわからないでもない
修正の方向性自体に間違いはないと思うし、今回のも捏造とはいえないと思う。|情報量に制限がある新聞というメディアの宿命のようにも思えてくる。ネットですべて吟味できる人々にはそれが歯がゆい、という話では。
「プロの作家にさえ編集者がついてるのに、素人の我々が編集を拒むって何事だ」これは業界に身をおくから言えること(編集者がどれほど作家の文章に手を入れているかは知られていないでしょう)。
確認とってるから捏造だとは思わない。でもこんなに文面変えられてるとは思わなかった。ここまで変えるなら、声だけ集めて記者が記事にすればいいんじゃないのと思う。編集後の文の方が読みやすいことは否定しない
編集されていない生の声が重宝されるのは、このエントリ自体が証明している。
「生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならないんだよ。」編集と改ざんの違いなど。プロの文章を直しているわけではない、と考えればまだ良心的なのか。
新聞社側はこんな風に考え行動に移している可能性があるという話。いわゆる「アサヒる」ではないようだが・・・。
投稿欄でも新聞社は掲載料を払うからね
真山仁『虚像の砦』を読み終わった後だったので個人的にタイミングがよかったエントリー
編集のプロは絶対必要だという仮定がそもそも新聞社やメディアの驕りだと思う。プロとしての記事と投稿物の記事の違い・・。
GJ。しかし読者投稿欄にくらい「ほのめかしメソッド」があってもいいような気がする
読者投稿欄というものに対する一般認識と新聞社側の認識の違い、の話かと
むしろ新聞だけでなく雑誌やら何やら、プロアマ問わず元の文章がまったく編集されずにそのまま載ることなんてあるのかなぁという。もちろん無断で、意味が変わるレベルにまでとかだったら問題だろうけれど。
読者の声だからこそ出来る限り「生」である必要があるのでは?投稿はあくまでも個人の意見で、新聞社の意見ではないので。誤字脱字程度の修正か「原文ママ」で十分かと。
誇張を捏造と書くのもレトリックの問題だし。原稿修正で文章を追加されるのもまたレトリックの問題。
webサイトも お客さんの言いなりに作ると廃れる
漫画と同じで、読者の声欄も編集によって面白くなるってことだろ。
やはり新聞の世界は麻痺している。編集したら「生の声」でないと思う。例えばブクマコメントが編集されると利用には躊躇する。せめて募集にあたって編集する旨を伝える必要はありますね。同一性保持権の問題は?
もっと、ディテールの重要性を認識した方がいい。
"もっと、編集の重要性を認識した方がいい。"
"痛みをともなうことを当然視する発言の中に、弱者切り捨てという結果が潜んでいることにわれわれは気づかなければならない"言葉の意味が吟味されず、ここが削られて改革の痛みと格差が生まれる関係性が抜けてるから
素人がいくらでも生で情報発信できる時代だからこそ、なおさらマスメディアでは編集が重要なんじゃないかと思ってみたりした。
良くも悪くも編集するもの(TV、出版社など)が力(権力、お金など)をもっている理由だね。それだけ完璧な人間なんていないってことだけど
普段から400字で意見表明する訓練・練習を「皆が出来てる」ワケでもない。「、」の挿入が変・「。」が無くダラダラ続く・主語がコロコロ入れ替わる文等、読むに耐えない素人文は手直し無しでは掲載は無理。
これはむしろ「1.読者の意見を変えるな」に該当する事例だと思うな。主義に対する批判を人・政党に対する批判に変えちゃだめ。/倖田來未の件はDがカットしても発言した事実も彼女が迂闊である事にも変わりはない。
編集の力で守られる投稿者もいるわけで、たまにそうじゃないって騒ぐ人もいるのかなぁ
じゃあ、1冊本ができるぐらい変な投稿が載るのはなんでなんだぜ?
こういう風に、色んな立場の人間の意見が聞けるのがネットの良いとこだなぁ、とふと思った(それぞれの意見が正しいかどうかは横に置いといて
ブクマのコメントのニュアンスが「メディア・ここまで「捏造」するか大マスコミ」とかなり違うのにびっくりした。オレもこの程度の修正は仕方がない派
"添削"という感じもする。「1.読者の意見を変えるな 2.最も大事なテーマだけに絞り込め 3.誰が読んでもわかる文章にしろ」/もっともそれが今でも守られてるかどうかはさすがに・・・ねぇw
生の声を吐きたかったら、新聞よりもインターネットに乗っかろう
「生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならないんだよ」「もっと、編集の重要性を認識した方がいい」生情報と編集情報の間に不正があるかないかをネット以前は検証が難しかったという問題のよーな。
編集は大事。
納得できる話と思った。「たぶん」「通りすがり」など毎度おなじみ匿名コメントが質を下げているけど。
そうか、だから時代が変わったことに気づかないんだ。 今のネットユーザーは、ありえないくらい大量の「生の声」を毎日読んでいるんだ。だから生の声が当たり前なんだ。編集されたものを奇妙に感じてしまう。
殺伐とした怒りっぽい世の中になったんじゃなくて、人々の本音は昔から殺伐としてて、その生の、ドロドロした情念が直接届く世の中になったって事じゃないの。多分世の中の本音はそんなに変わっていない。
一回一回確認してるんだから載る記事は本人の文なわけだしな。要はその変更の仕方が期待を裏ぎらな過ぎて、「朝日新聞気持ち悪いwwwww」ってだけの話。
ようするに言いたい事は「もっと、編集の重要性を認識した方がいい」。「プロ」の新聞社様が編集してやってるのに文句をつけるとはけしからん、という上から目線の主張。
穏当なところじゃないかな。件のは怒ってるヒトの文章の曖昧というか誤魔化し臭いところが嫌らしかったりするもんなぁ。
一般人の「文意を変えない範囲で修正」の概念と新聞人のそれに、大きな乖離があることが判ったためこんなに注目を集めているのではないか。
読者投稿は編集しないとメディアへの掲載に耐えられないという趣旨は理解できるが、本件の「編集」は投稿者の主張を超えた手直しだと考える。ま、事前に投稿者に確認してるし、断った本人が変に騒いでる感はあるけど
「生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならないんだよ。」「もっと、編集の重要性を認識した方がいい。」
編集の仕方が参考になった
投書の面白話。あと、投書についての体裁合わせは基本的にはありかなと思う。それとは違うレイヤで、インタビューなどで言葉を拾う際の恣意性、みたいな部分では現状の紙メディアにはかなり問題ありかなと思うが。
新聞投書書き直し。ニュアンス変わってないし承諾求めてるから捏造でもないと思うけど、書き直して良くなった気もしない。NHKの海外在住邦人の生の声みたいな放送があるけど、こんなもんじゃなく一挙手一投足らしいヨ
『読者の意見を変えるな』に反していると投稿者自身が認識しているようなのですが
これがマスコミの限界なんだろうな。生の声だと誤解やトラブルも多いだろうけど、本当にバランスの取れた無難な意見だけが求められているのか
元記事の例は「編集」の域を越えてると思うけどなあ。「この程度なら捏造にあたらない」の線引きはハッキリしてるの?
「某新聞社」の部分がブログにエントリーしたら実名に変わってたりしたら面白かったのに
"素人の我々が編集を拒むって何事だ"マスコミ関係者の編集に対する意識が垣間見える表現だなあ。どうなのこれ。
編集者との対話とかで文章を鍛えていくことは出来ると思う。実際とある仕事で言葉のつなげ方まで否定されるようなチェックを受けた時、その人の言語観を逆に解読して打開策を練っていく力がついたから。
結局同意が得られず掲載しなかったのだから捏造は言い過ぎだが、投稿者としても名前が出る以上自分の意見でないものを掲載させるわけにも行かないわけで。
正論。でもまあ、編集されないコトバのおもしろさにも、みんな気づきつつあるわけで。
何事もバランスよね。
編集の必要性は納得できるけど、透明性に疑問を感じる。このエントリーを読むまでどうゆう方針で編集の手が入るかを知らなかった人は多いんじゃない?
匿名の投書は捨てるのか。
読者投稿欄=生の声を掲載する場所だと思われているからじゃない?生の声を掲載しますという承認制のBBSがあって書き込んで数日後に見に行ったら文章が改変されて掲載されてたとか。格差に結び付けるのはギャグか。
売り物なんだからそういうもんでしょ。素人が駄文を垂れ流したければブログにでも書いとけってこと。
「世の中のことは全て新聞社に聞けばわかる」ヴァージニア・オハンロンのサンタのストーリーを思い出した
なるほどねえ、そういうもんか。確かに同意を取れれば問題ないのか。ふうむ。確かに元記事に煽られたかもしれん。良く考えよう。
先に書かれた! でもバイトにリライトさせる新聞社なんてあんの? と思ったり
新聞社にはいろんな考えを持った記者(編集者)がたくさんいるわけで、こういう話題にかこつけて新聞社が大きな一人称のようにあげつらうのは、いささか閉口。
「癒着や横領など内部告発系の手紙も、結構来てた。ただし、投稿者連絡先が書いてないものは即捨てることになっていた。」「素人が編集を拒むって何事だ」
「生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならない」「対面コミュニケーションか、アングラなメディア止まり」「逆に生の声なんて、どんなこと言ってもおかしくない、ってことでもっと大目に見るべき」
リライトってどこまで有りなんだろうね
全ての事実を知らないと気が済まない野次馬が多くなったんだろうけど、野次馬なんかに渡す「事実」は曲げておいて当然のことかと思う。
なるほど。ただ、同時に読者投稿欄にはテンプレ化できそうなくらい似てるものが集まってる印象もあるけどにゃ。でもそれも多分アリだろうな。その前段階で選り分けがあって印象をどうとでもできるんだし。
確認を取ってるんならいいんじゃないかな。
普通だという意見
なるほど、原稿修正はアルバイトレベルで成されていたというのがミソ!朝日新聞の深遠なる捏造なんかじゃない!
たった一件の事例でマスコミ全般をぶった切ってる元記事よりこっちのほうが読む甲斐がある。
そういうことをさらっと言える人間に対して怒っているのではないのかと。>なんか、最近みんな、目立つ人や大企業に対して怒りっぽすぎるよね。まあ、これが格差社会ってことなのか。
知識のバックボーンの違いとか偏見とか思い込みとかは平坦化しとかないと伝えたいことが伝わらない
JANJANのに同調して怒ってる人はこのエントリを存分にdisってみればいいよ。
「世の中のことは全て新聞社に聞けばわかる」。実はそうなんだよ。
語句などを修正することはよくある
まだ我々は「生の声」を受け取ることに慣れていないような気がする。
>生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならない | blogでもそうだよな。
編集の重要性
誰が読んでもわかる。ねぇ。/はっきりしないと駄目っていうのがあるのだろうかなぁ。嫌なもんだが
妥当の方向
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はてなブックマークの中から「これはすごい」エントリーを取り上げて、Digg風に表示したサイトです。より人の欲を満たすこれはひどいバージョンもあります。
はてブで「これはすごい」タグを付けると投票としてカウントされ、コメントを書き込むとコメントとして反映されます。はてな認証APIによる投票にも対応しています。
コメント
society
ずいぶんと受ける印象が異なる文章になってるなとは感じた。悪意の有無は別として。
「生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならない」
この記事http://www.news.janjan.jp/media/0802/0802150846/1.phpと合わせて読むと、バランスがとれて思考の際役立つ/「1.読者の意見を変えるな 2.最も大事なテーマだけに絞り込め 3.誰が読んでもわかる文章にしろ」
5分や10分で修正するのを「編集」と呼んでいいのかは別として、ほぼ99%の文章は本人に書き直さしても他人が手を入れても決してよくならない。とはいうもののオリジナルだから価値があるわけでもない
一応確認の手続きを取ってるから捏造とは思わないけど、一般論として「政治家および有権者の心構え」的な話をしようとしてるのに特定の誰かの悪口を言いたいかのように直されたら普通、気に入らないよ。
反論記事。
これは判る。
「プロの作家にさえ編集者がついてるのに、素人の我々が編集を拒むって何事だ」 / うーん。元記事読んだ。「編集」なのかなあ。ちょっと行き過ぎ感が。 / 編集が当たり前だったシステムと、編集不在のシステム。
|生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならないんだよ。/生の声は、結局は対面コミュニケーションか、アングラなメディア止まり。| 実体験からの声としては貴重。ただ「編集」の枠内かで紛糾している。
元記事の修正を「特に問題ないレベル」と言い切るところがすごい。「多くの国民は…無力感を感じた…そして…気づき始めたのだろう」の件なんて、使ってる単語が同じだけで主張は全く異なる。
編集者がいい意味でのボトルネックになってくれたら、発言者もやりやすいんだろうなぁ
安く雇ったライターさんの文章だと全文リライトはざらにある
まとめたお。生肉もソーセージも(゚д゚)ウマー。
http://tinyurl.com/yrlbdz http://tinyurl.com/yqp5hh http://tinyurl.com/ysa7zr http://tinyurl.com/yvdble http://tinyurl.com/2uk2hk http://tinyurl.com/yppb9k http://tinyurl.com/2hhauf http://tinyurl.com/35l4ag http://tinyurl.com/2vzn98| あと、CJRでCNN関連調
>流暢な日本語 わらた
「投稿コーナーは、そもそも採用されるかどうかを相手に委ねている時点で、言いたいことをそのまま書ける場所では無いかと。」投稿という形状を取る以上、声の生殺与奪は編集に任される。それが嫌ならWebを使おう。
ううむ
元記事からだけど、著者に確認したら捏造じゃないんじゃないかな。確認しないから問題なのであって。
論点がいろいろあってわからなくなってきました
『読者の主張を変えずに、より多くの人に意味が伝わるようにわかりやすく直してるだけだ。』いや、ニュアンスぜんぜん変ってるから!でもそういう意識なんだろうな、というのが良くわかる内容で参考になった。
やぁ、今日も楽しく炎上していますねぇ。楽しそうで何より
あんな低レベルな煽動・クレーマーに対して過ぎた解説。おつ
メディアの内側から発想になるほどと。(追記)編集されていない生の意見はコメント欄でお楽しみ下さい。
これを利用していろいろと練習してみるのが良いとか思った。採用されるような当たり障りのないどうとでも取れるような文章を書くのが難だが。/責任体制とかどうなってるのか知らないので知りたい。
生のままじゃ使えないというのは分かるけれど、改変(編集)したことを明示しないのはダメでしょ。そうでなければ、アサヒったのを隠蔽するばかりになる。
言っていることはわかるが、政治家全般に対して言っている原文から自民党のみにして政権批判にしてしまっているのは論点のすり替えとは言わないのだろうか?
本題から外れるが「悪いのは(中略)ディレクターでしょう」これは簡単には言えないと思う。エイベックスとの力関係でとか、編集できない理由は色々思いつく。
件のコメントは「読者の意見を変える」に相当するとは思うけど、事前確認のうえ載せてないのなら問題ないと思う。"生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならないんだよ。"については同意。
貴重な実態話。編集論は意図は解るものの現状のていたらくでは首肯できない/「生発言の時代になると、喋りのプロだけがもてはやされる傾向を危惧。ケネディの選挙の頃みたいな」既になってる。橋下とかオバマとか。
業界の常識としては理解できる。他の業界でやれば不当表示であり、業界の悪癖といっていいだろう。「『声』の原稿」と「作家の原稿」が等しく編集されるべきとは思わない。編集するなら「読者に聴きました」としよう
ネットの「生の声」って要するに2chのカキコやmixi日記なんだけどな。あんなもんそのまま載せられるか!/ブログ記事ってなんだかんだで少数のリテラシーあるひとが書くもの。読者投稿はそんな程度じゃない。
政治家はしゃべりのプロじゃないのかなぁ。しかし編集が必要なことはよくわかる。真実だと思ってることは大抵が編集されてる。一次情報に当たれることは人生でそうそうないはずだし。
ブログやネットで生の声に慣れると、こういう編集方針は不可思議に思えてくる。文体の編集は当然と思うけど、中身の補強などは本当に必要なのかなあ。
郵政解散を追加している所が郵政選挙社説で翼賛体制を明るみにした朝日新聞らしい.
「生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならないんだよ。」 元記事へのリンクもあり。新聞の文章改変ぶりにも驚いたが、ちゃんと事前確認とることにもっと驚いた。もっとひどいと思ってたので。
public opininon?
//編集は確かに大事だ。新聞は万人向けのメディアだし。素がいいならネットしか見なければいい
これ見て以前某ドラマでのSEの姿が現実と全然違うとか騒いでる人を思い出した。まああっちはフィクションドラマだったけど、たとえ報道でもマスコミってのは編集/整形された情報でないと商品にならないの。
商業メディアに載せる文章とブログに載せる文章との違い、、についてはあまりなかった
まあスタンスは納得するけど、投稿コーナーが充実しているラジオや雑誌は良質の投稿者を育てるいろんな努力をしていたわけで、今後の厳しい新聞業界、投稿者の意思を尊重する投書コーナーとなったほうがよさそう
素人さんの書いてきたものはそのまま使えないから、この記事に書かれている3点を守って書き直すのは悪いことではないと思う
janjanの記事を読んだとき これはひどい と思ったが、この記事を読んで このくらいはアリなのか と思ってしまう。他人の意見に流されやすい自分を発見したorz
自分の場合は修正してもらう事を前提で書くんですがね、なんせ文章書くの下手ですから。
少なくとも、改訂語は確かに「誰が読んでもわかりやすい文章」ではある。
捏造ではないかもしれないが印象操作に他ならない。長年新聞社の中にいて染まってしまったんでしょう。
大学時代、某新聞社で読者の声欄の原稿修正の手伝いをしていた。もともとは、催事紹介などの雑多な記事を書いたり、電話番をしたり、郵便物や資料の整理をする仕事としてバイトを始めた。
読者(≒投稿者)と編集者の「編集」という作業に対する認識には結構大きな差があるんです、という話なんでしょうかね。
「最近みんな、目立つ人や大企業に対して怒りっぽすぎるよね」今まで埋もれていた怒りが、誰にも編集されないブログや掲示板によって可視化されてきてるだけだと思う。
洗練された文章と意図的に修正された文章の境目が常に曖昧な形で提示されると。でもその判別がつかない状態は「読者の声」欄としての本来の機能を果たすのかな。
いっそのこと「読者投稿バラエティ」とかに名前を変えればいい。
weblog
ヘタクソな意味不明の文章を読まされるのはかなわん。私も人並みにマスメディ嫌いだが、「あるレベルに達していない文章は世に出せない」という気持ちは解る。プロとしてのこだわり。
>この修正は特に問題ないレベル。生の声は編集が重要で、しないと万人向けのコンテンツにはならず対面コミュニケーションかアングラ止まり。逆に生の声はどんなこと言ってもおかしくない、ともっと大目に見るべき。
俺もこの件は「1.読者の意見を変えるな」に当たると思う。編集の是非というより、だめな編集の例ってことかな。
焼かなきゃ食べられないのはその通りだけど、秋刀魚のワタ(キモ)を取り除いちゃダメでしょ。あと、たまに塩かけ過ぎ。ひどい時はよくわからんアジアンエスニックになってる。
chintaro3、Roo、uzakihsoy-kと同意見。読者の記名がつくなら文章の主眼を変えちゃいかんだろ。ちなみに修正後の文章は個別具体すぎて、良くある政治批判でつまらない。俺は国民に意識を問う前者の文章のほうが伝わったよ。
>もっと、編集の重要性を認識した方がいい。
『最近みんな、目立つ人や大企業に対して怒りっぽすぎるよね。』思う思う。
編集の重要性はわかるのだけど、件の記事については同意できないな。
投稿された文章を文意を変えずに読者へ伝えるための改変は必要であるという主張。改変の基準は同意できるが、本人の声と他者による改変の区別が全く無くなっている事が問題では? 事実と事実以外の区別が曖昧。
概ね同意
人の手が入らない印刷物は、存在しないということうを、改めて認識。「投降文をそのまま」と「現行修正したもの」を併記して載せるくらいしないと解決しないだろうな。http://www.news.janjan.jp/media/0802/0802150846/1.php
ミソもクソもいっしょくたのルールで改変しても良いような新聞だから読まない人が増えているんじゃないの。
捏造批判は的外れだし、3つの注意点もいいが、編集前後で「言ってること同じジャン」という反応になっていない。これで「意見を変えていない」と言えるのか?/「投稿者連絡先が書いてないものは即捨てる」
万人に真意を伝えようとすれば「第一稿」に大幅な修正を加えなければならないことは,文章を書く人間なら先刻承知のことなんだけどね.
活字メディアには「文字数」という絶対的に勝つことのできぬ敵があってだな。ヨミもアサも春から文字級数上げるんだからさらに「編集」されますよ?/マスコミ嫌いなのにニュースソースをマスコミから貰う人々
総じて同意。素人とかありのままが礼賛される昨今の傾向には留保が必要という事。ただ元記事も、新聞がどういうリライトをするのか、という遅れた現状を明らかにした部分で評価。捏造とか誘導は言い過ぎだけど。
「格差の原因は構造改革」は誤りです。編集するならそこを修正するべきです。校正レベルよりも、事実の誤りなのですから、これを放置するのは重大な「捏造」ではないでしょうか?
新聞の投書欄は映画の宣伝の「○○サイコー!」「泣きました」とかと同じ手法かとばかり
新聞の読者欄への編集について。この記事を読んで、ネットのすばらしさを改めて痛感。
概ね同意。これに関しては編集後の内容が悪くない。ただ、生原稿にダメ出しされたことが癪に触ったんだろう。気持ちはわかるが、「捏造」で片づけるのは感情論の域を出てない気がする
「なんか、最近みんな、目立つ人や大企業に対して怒りっぽすぎるよね。」同意。いつの間にやらギスギスした世の中になりました。
具体的で強く伝わる表現=万人向け ってこと?その基準に合いさえすれば、自分の会社にとって都合の悪いものでも載せてるっていうならあんまり問題ないように思う。
1.読者の意見を変えるな 2.最も大事なテーマだけに絞り込め 3.誰が読んでもわかる文章にしろ。 テーマを1つに絞り繰返や無駄な例示、脱線部分等を削る。文体を整え指示語を減らし具体的な情報を盛り込む。
読者ハガキを掲載する雑誌や、読み上げるラジオと違い、新聞社は紙面素材のひとつとして投稿文を改変するという社内常識がひとつ開示された
「元記事の方は新聞が万人向けのメディアであることを忘れているのではないか?」という主張。編集されたくなければ、今はブログというツールがあるじゃないか。
それだったら投稿文ママ載せて編者返答を添えたほうがいいような気がする。紙面足りない?
『生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならない』/所詮「生の声」は素材に過ぎず、散漫としすぎている。それに優先順位をつけ、論理的にまとめ、一人でも多くの人に声を伝えるのが編集だと思う
「生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならないんだよ」道理で文体が統一されすぎていると思っていたw まぁせっかくの良意見なのに、読者が読んで分からないような書き方だったらもったいないよね。
「編集済みの読者の声欄」というタイトルにしておけばいいよね。/赤井邦道の時も修正されたのだろうか?
[!GTD::資料(いつか読む)]新聞社で読者投稿欄の原稿修正をしてた者ですが - くろいぬの矛盾メモ
ネットの個人Blogや掲示板と、新聞などの公共のメディアが担っている役割は違うということを認識しなければならない。
ルポの基礎
逆に生の声なんて、どんなこと言ってもおかしくない、ってことでもっと大目に見るべき。
「読者投稿欄はこう編集します。それで万人向けに成ります」とことあるごとに説明してないからでしょ。「大企業に怒りっぽい」って矛先が変。毒されてる。
「しゃべりのプロだけがもてはやされる傾向を危惧している。」同意/編集されることを納得させる責任はあると思う
やっていいかどうかよりも、誤字脱字以上の修正を「やったほうがいい」と感じる感性が理解しがたい。
やっぱ乖離してるなぁ。『読者の声』である以上、誤字脱字・句読点の打ち直し以外の編集は無い物だ…ってのが、読み手の認識なのだが。//編集しなきゃ使い物にならないって、実は読者投稿量ってそんなに少ないの?
投稿者の主張をさりげなくすり替えてることにマスコミ自身が気づいていないところが怖い。
校正はいいけど、編集されたのは読者声ではなくなってしまうのでは? TVの該当インタビューがTV局の都合の良いように切り取られているのに似ている。
これは良エントリ。言い換えればこれからのユーザ主体生の声社会にはユーザ側に高度なリテラシが要求されるという。
※欄参考になる。/「万人に伝わる」←ダウト。新聞社がその性質上万人向けの文章にしたいだけ。要はインテリ無視すれば、編集者から見てレベルの低い文章でも、投稿者が声を伝えたい層にはちゃんと伝わる。
2chは編集済みまとめサイトしかみない自分だけど、ライブ!サイコーな人が編集の重要性とか嫌うんだなって理解した>「生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならないんだよ」
米欄の意見そのものが素人過ぎる。だから推敲される必要があるのだという事を自ずから証明してくれている例。
"目立つ人や大企業に対して怒りっぽすぎる" 正直このエントリーに同感。一人で生きてるんじゃないのだから。
生の声は万人向けのコンテンツにはならないけど、読者の声欄が万人向けな必要があるのかなぁ。/この件、「編集」という言葉は違う気がする。「校正」かな?
新聞とはこれまでずっとそういうメディアだった、何を今更、ということ。新聞の時代が終わったことを理解した。
紙面が限られている以上編集は必要。ただ意識的/無意識的に歪められた主張により意図せざる方向に世論が誘導される恐ろしさを感じる。果たして人間の精神はその影響から中立で居続けられるだろうか。
“生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならないんだよ。生の声は、結局は対面コミュニケーションか、アングラなメディア止まり。”言論装置としてのブロゴスフィアの意義と限界、という話にも通じるか。
編集されること極端に嫌うようになった それは 時代の流れであり必然だと思う。GPLがみんなを駆逐していったように。
うーん、編集することで「読みやすく」なってはいるけど、「随筆」が「アジビラ」に化けたような印象がある。それが悪いとは言わないが、どうせならよりユニークな意見を読みたい。
『生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならないんだよ』ここ重要だな、「万人向け」と「生」の価値観がネットと乖離してるのか/編集:「元記事は問題ない、問題なのは格差社会、編集重要」(ごめん)
編集は必要、編集を経ていることを知ることはもっと必要
"編集の重要性を認識した方がいい" 編集したものを先方に確認させていればNPではないかな。
立場立場でモノを云い。
狙い目の裏側に嫌悪感を覚える記事
生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならない
「逆に生放送、生発言の時代になると、しゃべりのプロだけがもてはやされる傾向を危惧している。」
同意。ネットの影響か、「マスコミ憎し!」で針小棒大に事を荒立てる人の多いこと
自分も雑誌掲載の経験が何度かあるが(原稿用紙数枚レベル)、一字一句そのままだったぞ。「編集」のあまり必要ない原稿を選んで載せれば済むことだろうに。素人の投稿欄なんか素人らしくて構わないじゃないか。
"生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならないんだよ"
編集っていうより、一番都合のいい文章を投稿した人を選んできて、記事に仕立ててるだけな気がするけどね。
校内報に書いた原稿が教師に勝手に書き直されていたのを思い出して、なんかモヤっとしたからあとでまた読む。
俺の渾身の立て読みを台無しにしやがって!!!(嘘 / 立て読みは縦読みの誤りでした。訂正してお詫び申し上げます(爆
編集後の読みやすさか、編集前の原文か。ネットリテラシーにも関わることかも。ただし文字で伝えられることには限度があり、著者の思いをすべて汲み取るのは、誰が書いたどんな文でも難しい。
まあわからないでもない
修正の方向性自体に間違いはないと思うし、今回のも捏造とはいえないと思う。|情報量に制限がある新聞というメディアの宿命のようにも思えてくる。ネットですべて吟味できる人々にはそれが歯がゆい、という話では。
「プロの作家にさえ編集者がついてるのに、素人の我々が編集を拒むって何事だ」これは業界に身をおくから言えること(編集者がどれほど作家の文章に手を入れているかは知られていないでしょう)。
確認とってるから捏造だとは思わない。でもこんなに文面変えられてるとは思わなかった。ここまで変えるなら、声だけ集めて記者が記事にすればいいんじゃないのと思う。編集後の文の方が読みやすいことは否定しない
編集されていない生の声が重宝されるのは、このエントリ自体が証明している。
「生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならないんだよ。」編集と改ざんの違いなど。プロの文章を直しているわけではない、と考えればまだ良心的なのか。
新聞社側はこんな風に考え行動に移している可能性があるという話。いわゆる「アサヒる」ではないようだが・・・。
投稿欄でも新聞社は掲載料を払うからね
真山仁『虚像の砦』を読み終わった後だったので個人的にタイミングがよかったエントリー
編集のプロは絶対必要だという仮定がそもそも新聞社やメディアの驕りだと思う。プロとしての記事と投稿物の記事の違い・・。
GJ。しかし読者投稿欄にくらい「ほのめかしメソッド」があってもいいような気がする
読者投稿欄というものに対する一般認識と新聞社側の認識の違い、の話かと
むしろ新聞だけでなく雑誌やら何やら、プロアマ問わず元の文章がまったく編集されずにそのまま載ることなんてあるのかなぁという。もちろん無断で、意味が変わるレベルにまでとかだったら問題だろうけれど。
読者の声だからこそ出来る限り「生」である必要があるのでは?投稿はあくまでも個人の意見で、新聞社の意見ではないので。誤字脱字程度の修正か「原文ママ」で十分かと。
誇張を捏造と書くのもレトリックの問題だし。原稿修正で文章を追加されるのもまたレトリックの問題。
webサイトも お客さんの言いなりに作ると廃れる
漫画と同じで、読者の声欄も編集によって面白くなるってことだろ。
やはり新聞の世界は麻痺している。編集したら「生の声」でないと思う。例えばブクマコメントが編集されると利用には躊躇する。せめて募集にあたって編集する旨を伝える必要はありますね。同一性保持権の問題は?
もっと、ディテールの重要性を認識した方がいい。
"もっと、編集の重要性を認識した方がいい。"
"痛みをともなうことを当然視する発言の中に、弱者切り捨てという結果が潜んでいることにわれわれは気づかなければならない"言葉の意味が吟味されず、ここが削られて改革の痛みと格差が生まれる関係性が抜けてるから
"生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならないんだよ"
素人がいくらでも生で情報発信できる時代だからこそ、なおさらマスメディアでは編集が重要なんじゃないかと思ってみたりした。
良くも悪くも編集するもの(TV、出版社など)が力(権力、お金など)をもっている理由だね。それだけ完璧な人間なんていないってことだけど
普段から400字で意見表明する訓練・練習を「皆が出来てる」ワケでもない。「、」の挿入が変・「。」が無くダラダラ続く・主語がコロコロ入れ替わる文等、読むに耐えない素人文は手直し無しでは掲載は無理。
これはむしろ「1.読者の意見を変えるな」に該当する事例だと思うな。主義に対する批判を人・政党に対する批判に変えちゃだめ。/倖田來未の件はDがカットしても発言した事実も彼女が迂闊である事にも変わりはない。
編集の力で守られる投稿者もいるわけで、たまにそうじゃないって騒ぐ人もいるのかなぁ
じゃあ、1冊本ができるぐらい変な投稿が載るのはなんでなんだぜ?
こういう風に、色んな立場の人間の意見が聞けるのがネットの良いとこだなぁ、とふと思った(それぞれの意見が正しいかどうかは横に置いといて
ブクマのコメントのニュアンスが「メディア・ここまで「捏造」するか大マスコミ」とかなり違うのにびっくりした。オレもこの程度の修正は仕方がない派
"添削"という感じもする。「1.読者の意見を変えるな 2.最も大事なテーマだけに絞り込め 3.誰が読んでもわかる文章にしろ」/もっともそれが今でも守られてるかどうかはさすがに・・・ねぇw
生の声を吐きたかったら、新聞よりもインターネットに乗っかろう
「生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならないんだよ」「もっと、編集の重要性を認識した方がいい」生情報と編集情報の間に不正があるかないかをネット以前は検証が難しかったという問題のよーな。
編集は大事。
納得できる話と思った。「たぶん」「通りすがり」など毎度おなじみ匿名コメントが質を下げているけど。
そうか、だから時代が変わったことに気づかないんだ。 今のネットユーザーは、ありえないくらい大量の「生の声」を毎日読んでいるんだ。だから生の声が当たり前なんだ。編集されたものを奇妙に感じてしまう。
殺伐とした怒りっぽい世の中になったんじゃなくて、人々の本音は昔から殺伐としてて、その生の、ドロドロした情念が直接届く世の中になったって事じゃないの。多分世の中の本音はそんなに変わっていない。
一回一回確認してるんだから載る記事は本人の文なわけだしな。要はその変更の仕方が期待を裏ぎらな過ぎて、「朝日新聞気持ち悪いwwwww」ってだけの話。
ようするに言いたい事は「もっと、編集の重要性を認識した方がいい」。「プロ」の新聞社様が編集してやってるのに文句をつけるとはけしからん、という上から目線の主張。
穏当なところじゃないかな。件のは怒ってるヒトの文章の曖昧というか誤魔化し臭いところが嫌らしかったりするもんなぁ。
一般人の「文意を変えない範囲で修正」の概念と新聞人のそれに、大きな乖離があることが判ったためこんなに注目を集めているのではないか。
読者投稿は編集しないとメディアへの掲載に耐えられないという趣旨は理解できるが、本件の「編集」は投稿者の主張を超えた手直しだと考える。ま、事前に投稿者に確認してるし、断った本人が変に騒いでる感はあるけど
「生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならないんだよ。」「もっと、編集の重要性を認識した方がいい。」
編集の仕方が参考になった
投書の面白話。あと、投書についての体裁合わせは基本的にはありかなと思う。それとは違うレイヤで、インタビューなどで言葉を拾う際の恣意性、みたいな部分では現状の紙メディアにはかなり問題ありかなと思うが。
新聞投書書き直し。ニュアンス変わってないし承諾求めてるから捏造でもないと思うけど、書き直して良くなった気もしない。NHKの海外在住邦人の生の声みたいな放送があるけど、こんなもんじゃなく一挙手一投足らしいヨ
『読者の意見を変えるな』に反していると投稿者自身が認識しているようなのですが
これがマスコミの限界なんだろうな。生の声だと誤解やトラブルも多いだろうけど、本当にバランスの取れた無難な意見だけが求められているのか
元記事の例は「編集」の域を越えてると思うけどなあ。「この程度なら捏造にあたらない」の線引きはハッキリしてるの?
「某新聞社」の部分がブログにエントリーしたら実名に変わってたりしたら面白かったのに
"素人の我々が編集を拒むって何事だ"マスコミ関係者の編集に対する意識が垣間見える表現だなあ。どうなのこれ。
編集者との対話とかで文章を鍛えていくことは出来ると思う。実際とある仕事で言葉のつなげ方まで否定されるようなチェックを受けた時、その人の言語観を逆に解読して打開策を練っていく力がついたから。
結局同意が得られず掲載しなかったのだから捏造は言い過ぎだが、投稿者としても名前が出る以上自分の意見でないものを掲載させるわけにも行かないわけで。
正論。でもまあ、編集されないコトバのおもしろさにも、みんな気づきつつあるわけで。
何事もバランスよね。
編集の必要性は納得できるけど、透明性に疑問を感じる。このエントリーを読むまでどうゆう方針で編集の手が入るかを知らなかった人は多いんじゃない?
匿名の投書は捨てるのか。
読者投稿欄=生の声を掲載する場所だと思われているからじゃない?生の声を掲載しますという承認制のBBSがあって書き込んで数日後に見に行ったら文章が改変されて掲載されてたとか。格差に結び付けるのはギャグか。
売り物なんだからそういうもんでしょ。素人が駄文を垂れ流したければブログにでも書いとけってこと。
「世の中のことは全て新聞社に聞けばわかる」ヴァージニア・オハンロンのサンタのストーリーを思い出した
なるほどねえ、そういうもんか。確かに同意を取れれば問題ないのか。ふうむ。確かに元記事に煽られたかもしれん。良く考えよう。
先に書かれた! でもバイトにリライトさせる新聞社なんてあんの? と思ったり
新聞社にはいろんな考えを持った記者(編集者)がたくさんいるわけで、こういう話題にかこつけて新聞社が大きな一人称のようにあげつらうのは、いささか閉口。
「癒着や横領など内部告発系の手紙も、結構来てた。ただし、投稿者連絡先が書いてないものは即捨てることになっていた。」「素人が編集を拒むって何事だ」
「生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならない」「対面コミュニケーションか、アングラなメディア止まり」「逆に生の声なんて、どんなこと言ってもおかしくない、ってことでもっと大目に見るべき」
リライトってどこまで有りなんだろうね
全ての事実を知らないと気が済まない野次馬が多くなったんだろうけど、野次馬なんかに渡す「事実」は曲げておいて当然のことかと思う。
なるほど。ただ、同時に読者投稿欄にはテンプレ化できそうなくらい似てるものが集まってる印象もあるけどにゃ。でもそれも多分アリだろうな。その前段階で選り分けがあって印象をどうとでもできるんだし。
確認を取ってるんならいいんじゃないかな。
普通だという意見
なるほど、原稿修正はアルバイトレベルで成されていたというのがミソ!朝日新聞の深遠なる捏造なんかじゃない!
たった一件の事例でマスコミ全般をぶった切ってる元記事よりこっちのほうが読む甲斐がある。
そういうことをさらっと言える人間に対して怒っているのではないのかと。>なんか、最近みんな、目立つ人や大企業に対して怒りっぽすぎるよね。まあ、これが格差社会ってことなのか。
知識のバックボーンの違いとか偏見とか思い込みとかは平坦化しとかないと伝えたいことが伝わらない
JANJANのに同調して怒ってる人はこのエントリを存分にdisってみればいいよ。
「世の中のことは全て新聞社に聞けばわかる」。実はそうなんだよ。
語句などを修正することはよくある
まだ我々は「生の声」を受け取ることに慣れていないような気がする。
>生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならない | blogでもそうだよな。
編集の重要性
誰が読んでもわかる。ねぇ。/はっきりしないと駄目っていうのがあるのだろうかなぁ。嫌なもんだが
妥当の方向