賛成できない
権威って義務教育漢字だっけ?読みづらいからもっと漢字増やしてよ
[[[社会][経済][国際]]]ならば警官には公務執行の自由(と不執行の自由)があり、人を殴るのを公務だと説明する自由もある。従ってこの論に依って何者かを批判するのは不可能。「自由なデモ隊と自らの自由な判断を否認
デモに参加する自由が尊重されることは確かに大切。でも、じゃあ、「公共の利益を享受する自由」が黙殺されて良いのか?というとそれは違うと思う。黙殺して進む道は気づいたら茨に囲まれてるからご注意。
「人口抑制のため今年はみなさんにちょっと殺し合いをしてもらいます」というバトロワちっくな法律があったとして(ないけどさ)、それに従う自由もあるし、従わない自由もあるんだよ、と読んだ。
たいへんクリアな議論で、「どうでもいい」とか「中二」とか言ってる人がいるのが理解で菌。/後段の「道徳」ってことばは個人的には「倫理」におきかえたいとおもった。
職業選択の自由によって警察官になったわけで
自由を教育するときには、自由と同時に秩序を教えるのは当然だと思う。社会秩序を超えた、メタレベルでの自由は理解できる。ただ、秩序に縛られる(ルールに身を任せる)自由というものもあるのではと思う。
幸せになる権利と不幸になる自由 / 「自由」の定義が彼我で異なるというか、ニュアンスは分かるけどあまり現実的に便利な定義じゃないと思う。「自由には責任が」というのは教育用のテーゼ
自由があるから責任も生じるという至極まっとうなことをいっているのでは?選択がなく強制されるところに責任はない。
「こんなことを おおっぴらに いうヤツは、こわいでしょうか。」。こわいじゃなくて、馬鹿だと思う。
大爆笑した。/ うーん、これはカルトの考え方なんよ。 まあ、書いてる本人はともかく、完全に影響受けちゃってる人が・・・↓
「自由」についての考察。(どちらかというと自分は「不自由」から考える方だけど)おもしろい。他の記事も読んでみる。
ぶんしょう を みると ファミコンせだい と おもってしまう。
中二。あと読みなれていないだけじゃない。文章の構成法をほとんどいじらずに、単にべたに全部読まねばならぬ記法に変えただけなら、斜め読みする速度が下がるのは寧ろ必然。要は色々と全部中途半端なんだよ。
この自由論には相互安全保障の発想が折り込まれていない。つまりは強者の論理でしかない。我慢できないのでエントリにした。http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20080708/1215505135
興味深い考察。自由と権利と、それらを行使するのかしないのか、その葛藤の中に人間としての生き様がある。
デモ<=道徳的、公務<=非道徳的という決め付けさえなければいい推論になったと思う。それで論をなせればだけど。/とりあえず自由のために窃盗したバイクで走り出すところから始めよう。
そのまま受け取ってそんな自由は認められないとかいう人がいるけど、なんでも自由にと言ってるわけでなく、主体的に行動せよって事では?法があるから仕方なくではなく、己の主体的な選択として自由を制限しろ、と。
加藤容疑者のように大量殺人をするのも自由。そして刑務所で死刑執行される未来を築くのもあなたの自由。
小学校の国語からやり直して、漢字検定の勉強をするべき。
「僕たちは、僕たちの道路に何キロ制限の立て札を立てようか」という話もあれば、盗んだバイクでホットロードを走る話もあると。
cf.「市民的不服従の思想」→http://ci.nii.ac.jp/naid/110004033671/|''Civil Disobedience'' http://www.earlham.edu/~peters/writing/civ-dis.htm|http://plato.stanford.edu/entries/civil-disobedience/
過去のエントリ読む限り、わかち書きや漢字に対して思うところがあって故意にやっているようだ。従来の日本語文章に慣れてしまった私は読みにくさに殺意すら抱いてしまったけど、これはこれで信念があるのだろう。
でも、自分が殺されない権利を守るには、自分が殺す自由を放棄するしかない。殺し合う自由なんて俺はいらない。
筒井康隆『心狸学・社怪学』の『原始共産制』を思い出した。
自由と自由が対立したとき社会契約体である国家がそれを裁定する。/望むなら自ら社会契約体をつくり他の社会契約体と闘争する自由もあるよ。
デムパな人は句読点の代わりに空白を使いたがる、という法則があるなあ、とずっと前から思っていた、
ひらがな多すぎて読みづらい。どうでもいい。
つかまぁ、「そういう決まりですから」っつって責任を逃れたがる人ってのは、多いやね。でもまぁ、どんな物事にも一般化して考えちゃうのは、どーかとも思うけどね。 / http://b.hatena.ne.jp/entry/9216765
ブクマしてくれた みなさん、ありがとうございます! ちょっとだけ追記しました。
とりあえずこのエントリに対するコメントがある種の踏み絵になっているのはわかった。
もちろんムショで屈強な中年のオカマに掘られる自由も存在する。
自由が持つ責任って代償みたいなもんだと思ってるんだけどなー。/自由にやるなら責任もてよ!って訳ではなく、自由にやるなら面倒なことも結構あるよ。って感じ。/自由な事から逃げない人が自由なんだと思う。
アホ丸出し。自由について何1つ分かってない。やっぱり、この手の連中はこの程度か。
ある意味当然。現実に、車の制限速度なんかみんな守ってない。/ ただ、この書き方では一般大衆にひかれちゃう。これでは政治的勝利からは遠ざかると思う。/大学構内の核マルポスターがアレな問題と同じ。
オマワリにも、「組織内で評価されるためにデモ隊の頭をカチ割る自由」はあると思うんですよ。一般市民が「よく分からんけどデモとかキモいから殺して良いよ」と思う自由もある。自由を語るのは無意味です。
法律上あるいは社会規範上の「自由」と、いったん存在の無規定性に話を差し戻す哲学的な「自由」との相違についての話として読もう。
読みにくいと表明する自由を抑圧する人とか読まない自由に反して読むことを強制する人が居る
ソ連崩壊直後のロシアのドキュメンタリーで、若い警官が「西側のデモや暴動をTVで見ていた時はデモ隊を応援していたけど、デモを規制する側になってみたら彼らが憎たらしくなった」みたいに言ってたのを思い出した。
自分がイヤだと思ったら、辞める自由があるのでは?自分で選んで職につきながら業務を遂行しなかったら・・・。消防士が燃えてる家見て「消さない自由」を主張するようなもの。異議申し立ての保障とは別の話かもね
一切の権力は、暴力である。ゆえに、権力の行使は必要最低限にとどめるべきであり、権力を使わずに統治することが能力のある権力者である。
がっこうでじゆうばっかしおしえてせきにんについておしえてないなんて、うそですよね(^.^)/~~~
「逮捕する自由」ってのもあるんだよね?そうすると・・・
僕は人間は何に対しても自由で、それは常に責任をともなうものでもなく、ただ他者の自由と対立するだけだと思う。
俺の「殺されない自由」と「他人から迷惑を受けない自由」を侵害しない限りなにをやっても良いよ /ID:kurotokage 他者が「あなたを殺す自由」を選択した場合、あなたはそれに従うの?
なんというか人間が人間として生きることを否定している気がする。そういう自由は動物社会でしか通じないんじゃないかと思ったり。
法律と全然レイヤーの違う話。一緒に見える人も多いのか。
Anarchy is Order.アナキズムにおける「自由」の話。私が殺されないのは法が禁じるからではなく他者が私を殺さない自由を選択しているから。法が許せば人を殺すのか? / ↑何でそういう話になるの?メタブへ。
「行動の自由」など存在しない。それがあると思うからこういう変な話になる。真の自由とは、「思考の自由(精神の自由)」だ。この自由が無い人間のなんと多いことか。
誰にでも読めるようにひらがなを使っているのか(にしては漢字の部分も多いが)、最初から最後まで書き走るタイプなのか。/…漢字依存とも言えるか。ひらがなを平仮名とするか…その混在具合は面白くある。
自由を行使すると多かれ少なかれ誰かの「自由」を阻害するわけで,例えば殺人のように,その自由を行使した結果対象の自由が否応無く失われるような行為には社会から規制があって然るべきだと思うよ.
公務を妨害する自由は多分あるのだけど、それが権力によって保証されるべきかは微妙なところな気がする。詰まる所、何らかの共同体的な紐帯が自然な形で作られないとダメなんかなと。
なんかしっくり来ないと思ったら、「みずからの自由な判断を否認するオマワリ」に根拠が読み取れないのかな。何故そう考えるのをこそ知りたいんだけど
考え方自体は凄く同意なのだが、いまいち違和感があるのはなぜなのか・・・。 | オマワリはオマワリでムカツク連中をボコるという自由を行使しただけ、とも言える。
自由はいつだってどこにだってある。そして当然リスクと利益がある。ゴミのようにのたれ死ぬ自由を謳歌しようとは思わない。平均するとプラマイゼロの日常が多くのプラスマイナスの加算の結果であるという事だろう
利害が対立する部分に完全な自由なんてあるわけ無い。そこを調整、解決するための「社会」であり「法律」。自由を奪うものじゃなくて、自由を調整するものだよ。
自由ってこういうことだわ。まさに。/アドルフ・アイヒマンは裁判で「命令に従っただけ」と主張したわけで。彼にはホロコーストを指揮しない自由があったのに。
では、その自由がたいせつではないと考える人間が一人でもいたらどうか? 私はそうだ。そんな人間にとって、公務執行の妨害はゆるされない。自由を合言葉に、自由を認めていない人間までどうこうするのはおかしい。
うえは『うえからの命令の機械的な「執行」』に従わないやつを採用しないという自由を既に行使しただけのはなし
もっと読みやすく書いてほしい。
「「公共の利益を そこなうような自由は みとめられない」という かんがえにたいしては、わたしは ぜんりょくで 反対したいとおもいます」するもしないも自由の杖を一振り。
これってアナキズム?信念としてはおもしろいけど/日本語の分かち書きはやっぱり読みにくいです
自由に振舞うのは確かに個人の勝手だが無責任は勘弁な。どう考えてもテロリストの思想だぜそれ。
道徳に縛られ自由を欠くことを批判する、だがその人もまた、思想に縛られ自由を欠いているのだ、と私は思うがね。
導入部は首肯したが何かどんどんズレていく感が。
民主的だとか自由だとか共産だとか政党って名前の意味がよくわからんねw 金持ち優遇党、庶民優遇党とかわかりやす(ry
読みにくい。
人に迷惑をかける自由を許容するというのは、同時に迷惑をかけられるのを許容するということ。だからそんな「迷惑な自由」は許容されないんだけどね。
神様は何も禁止してなんかいない。1984的に制限され改変されていく"自由"の意味を取り戻す自由を!
カウンターアタックとして必要な言明
いんあざーわーずテラ豚丼http://d.hatena.ne.jp/toled/20071202/1196589952/法を破ることを奨励しているんじゃなくて、法を守ったこと/破ったことは、常に再び問われつづけなければいけないってことだと思うけど。
おまわりさんが公務を執行するのもしないのもおまわりさんの自由
自由を拡大解釈する癖に、他人にはその自由を認めない人の語り
「自由」を絞り込むことでしか「決定」は得られないにも関わらず、それを楯に公職者の「決定」を批判するのはなぁ。
どうでもいい話だとは思わんが,ところでこのひとの考え方において,「対話」と「妥協」はどこかで担保されているの?
厨二病的。じゃあ俺はおろかものでいいや/思想的な自由と社会性における被制約なそれを混同しちゃだめだろ。両者の線引きを論じることは大事であるけど、制約それ自体を否定することのどこに社会性があるというんだ
オブジェクト指向的か手続き的かの視点の差。全てをオブジェクト指向的にして社会が回るならその通りなんだが、実際にはそれじゃ回らない。言葉遊びの域を出ない。
どうでもいいどころかすごく重要な話だよ!!!読めよ!!!
↓読みにくい言うてる者ども半年ROMれ!読みにくいじゃなくて読みなれてねーだけだろが
自由という概念を、ここでは違法の自由を認めるものまで拡張しておく。すると違法の自由を実力行使で押さえ込む自由も、法律を遵守し死刑を命ずる自由も存在する。彼こそ自由をなめてるのでは。あと読みづらい。
どうでもいいが、ひらがなばかりで読みにくい。↑慣れる必要があるということが「読みにくい」という事だと思うが。(ギャル文字とか)/この程度の意見は何度も見ている。目新しさは皆無だ。本人は画期的なつもり?w
なんかカントに関する理解が細かい部分で微妙にずれてるような気はする。/みんな道徳法則くらいは知っておこうよ、、、
こういう話は「理解できない」ということにしておくと脳が楽だ、と潜在意識で感じている人が多そうな感じ
"オマワリたちは みずからの自由を否認しているのみならず、他人の自由をも否認しているのです。おそろしい道徳的退廃というべきです。"/「よみやすさって、なんだろう」http://d.hatena.ne.jp/hituzinosanpo/20080707/1215442015
警官は職務を遂行しているに過ぎない。それを妨害するのは法的に罰せられるけどそれをする自由が認められないとしたらとっても恐ろしいですよね。批判している人は立場が変わったときあっさり受け入れるのかな。
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コメント
賛成できない
権威って義務教育漢字だっけ?読みづらいからもっと漢字増やしてよ
[[[社会][経済][国際]]]ならば警官には公務執行の自由(と不執行の自由)があり、人を殴るのを公務だと説明する自由もある。従ってこの論に依って何者かを批判するのは不可能。「自由なデモ隊と自らの自由な判断を否認
デモに参加する自由が尊重されることは確かに大切。でも、じゃあ、「公共の利益を享受する自由」が黙殺されて良いのか?というとそれは違うと思う。黙殺して進む道は気づいたら茨に囲まれてるからご注意。
「人口抑制のため今年はみなさんにちょっと殺し合いをしてもらいます」というバトロワちっくな法律があったとして(ないけどさ)、それに従う自由もあるし、従わない自由もあるんだよ、と読んだ。
たいへんクリアな議論で、「どうでもいい」とか「中二」とか言ってる人がいるのが理解で菌。/後段の「道徳」ってことばは個人的には「倫理」におきかえたいとおもった。
職業選択の自由によって警察官になったわけで
自由を教育するときには、自由と同時に秩序を教えるのは当然だと思う。社会秩序を超えた、メタレベルでの自由は理解できる。ただ、秩序に縛られる(ルールに身を任せる)自由というものもあるのではと思う。
幸せになる権利と不幸になる自由 / 「自由」の定義が彼我で異なるというか、ニュアンスは分かるけどあまり現実的に便利な定義じゃないと思う。「自由には責任が」というのは教育用のテーゼ
自由があるから責任も生じるという至極まっとうなことをいっているのでは?選択がなく強制されるところに責任はない。
「こんなことを おおっぴらに いうヤツは、こわいでしょうか。」。こわいじゃなくて、馬鹿だと思う。
大爆笑した。/ うーん、これはカルトの考え方なんよ。 まあ、書いてる本人はともかく、完全に影響受けちゃってる人が・・・↓
「自由」についての考察。(どちらかというと自分は「不自由」から考える方だけど)おもしろい。他の記事も読んでみる。
ぶんしょう を みると ファミコンせだい と おもってしまう。
中二。あと読みなれていないだけじゃない。文章の構成法をほとんどいじらずに、単にべたに全部読まねばならぬ記法に変えただけなら、斜め読みする速度が下がるのは寧ろ必然。要は色々と全部中途半端なんだよ。
この自由論には相互安全保障の発想が折り込まれていない。つまりは強者の論理でしかない。我慢できないのでエントリにした。http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20080708/1215505135
興味深い考察。自由と権利と、それらを行使するのかしないのか、その葛藤の中に人間としての生き様がある。
デモ<=道徳的、公務<=非道徳的という決め付けさえなければいい推論になったと思う。それで論をなせればだけど。/とりあえず自由のために窃盗したバイクで走り出すところから始めよう。
そのまま受け取ってそんな自由は認められないとかいう人がいるけど、なんでも自由にと言ってるわけでなく、主体的に行動せよって事では?法があるから仕方なくではなく、己の主体的な選択として自由を制限しろ、と。
加藤容疑者のように大量殺人をするのも自由。そして刑務所で死刑執行される未来を築くのもあなたの自由。
小学校の国語からやり直して、漢字検定の勉強をするべき。
「僕たちは、僕たちの道路に何キロ制限の立て札を立てようか」という話もあれば、盗んだバイクでホットロードを走る話もあると。
cf.「市民的不服従の思想」→http://ci.nii.ac.jp/naid/110004033671/|''Civil Disobedience'' http://www.earlham.edu/~peters/writing/civ-dis.htm|http://plato.stanford.edu/entries/civil-disobedience/
過去のエントリ読む限り、わかち書きや漢字に対して思うところがあって故意にやっているようだ。従来の日本語文章に慣れてしまった私は読みにくさに殺意すら抱いてしまったけど、これはこれで信念があるのだろう。
でも、自分が殺されない権利を守るには、自分が殺す自由を放棄するしかない。殺し合う自由なんて俺はいらない。
筒井康隆『心狸学・社怪学』の『原始共産制』を思い出した。
自由と自由が対立したとき社会契約体である国家がそれを裁定する。/望むなら自ら社会契約体をつくり他の社会契約体と闘争する自由もあるよ。
デムパな人は句読点の代わりに空白を使いたがる、という法則があるなあ、とずっと前から思っていた、
ひらがな多すぎて読みづらい。どうでもいい。
つかまぁ、「そういう決まりですから」っつって責任を逃れたがる人ってのは、多いやね。でもまぁ、どんな物事にも一般化して考えちゃうのは、どーかとも思うけどね。 / http://b.hatena.ne.jp/entry/9216765
ブクマしてくれた みなさん、ありがとうございます! ちょっとだけ追記しました。
とりあえずこのエントリに対するコメントがある種の踏み絵になっているのはわかった。
もちろんムショで屈強な中年のオカマに掘られる自由も存在する。
自由が持つ責任って代償みたいなもんだと思ってるんだけどなー。/自由にやるなら責任もてよ!って訳ではなく、自由にやるなら面倒なことも結構あるよ。って感じ。/自由な事から逃げない人が自由なんだと思う。
アホ丸出し。自由について何1つ分かってない。やっぱり、この手の連中はこの程度か。
ある意味当然。現実に、車の制限速度なんかみんな守ってない。/ ただ、この書き方では一般大衆にひかれちゃう。これでは政治的勝利からは遠ざかると思う。/大学構内の核マルポスターがアレな問題と同じ。
オマワリにも、「組織内で評価されるためにデモ隊の頭をカチ割る自由」はあると思うんですよ。一般市民が「よく分からんけどデモとかキモいから殺して良いよ」と思う自由もある。自由を語るのは無意味です。
法律上あるいは社会規範上の「自由」と、いったん存在の無規定性に話を差し戻す哲学的な「自由」との相違についての話として読もう。
読みにくいと表明する自由を抑圧する人とか読まない自由に反して読むことを強制する人が居る
ソ連崩壊直後のロシアのドキュメンタリーで、若い警官が「西側のデモや暴動をTVで見ていた時はデモ隊を応援していたけど、デモを規制する側になってみたら彼らが憎たらしくなった」みたいに言ってたのを思い出した。
自分がイヤだと思ったら、辞める自由があるのでは?自分で選んで職につきながら業務を遂行しなかったら・・・。消防士が燃えてる家見て「消さない自由」を主張するようなもの。異議申し立ての保障とは別の話かもね
一切の権力は、暴力である。ゆえに、権力の行使は必要最低限にとどめるべきであり、権力を使わずに統治することが能力のある権力者である。
がっこうでじゆうばっかしおしえてせきにんについておしえてないなんて、うそですよね(^.^)/~~~
「逮捕する自由」ってのもあるんだよね?そうすると・・・
僕は人間は何に対しても自由で、それは常に責任をともなうものでもなく、ただ他者の自由と対立するだけだと思う。
俺の「殺されない自由」と「他人から迷惑を受けない自由」を侵害しない限りなにをやっても良いよ /ID:kurotokage 他者が「あなたを殺す自由」を選択した場合、あなたはそれに従うの?
なんというか人間が人間として生きることを否定している気がする。そういう自由は動物社会でしか通じないんじゃないかと思ったり。
法律と全然レイヤーの違う話。一緒に見える人も多いのか。
Anarchy is Order.アナキズムにおける「自由」の話。私が殺されないのは法が禁じるからではなく他者が私を殺さない自由を選択しているから。法が許せば人を殺すのか? / ↑何でそういう話になるの?メタブへ。
「行動の自由」など存在しない。それがあると思うからこういう変な話になる。真の自由とは、「思考の自由(精神の自由)」だ。この自由が無い人間のなんと多いことか。
誰にでも読めるようにひらがなを使っているのか(にしては漢字の部分も多いが)、最初から最後まで書き走るタイプなのか。/…漢字依存とも言えるか。ひらがなを平仮名とするか…その混在具合は面白くある。
自由を行使すると多かれ少なかれ誰かの「自由」を阻害するわけで,例えば殺人のように,その自由を行使した結果対象の自由が否応無く失われるような行為には社会から規制があって然るべきだと思うよ.
公務を妨害する自由は多分あるのだけど、それが権力によって保証されるべきかは微妙なところな気がする。詰まる所、何らかの共同体的な紐帯が自然な形で作られないとダメなんかなと。
なんかしっくり来ないと思ったら、「みずからの自由な判断を否認するオマワリ」に根拠が読み取れないのかな。何故そう考えるのをこそ知りたいんだけど
考え方自体は凄く同意なのだが、いまいち違和感があるのはなぜなのか・・・。 | オマワリはオマワリでムカツク連中をボコるという自由を行使しただけ、とも言える。
自由はいつだってどこにだってある。そして当然リスクと利益がある。ゴミのようにのたれ死ぬ自由を謳歌しようとは思わない。平均するとプラマイゼロの日常が多くのプラスマイナスの加算の結果であるという事だろう
利害が対立する部分に完全な自由なんてあるわけ無い。そこを調整、解決するための「社会」であり「法律」。自由を奪うものじゃなくて、自由を調整するものだよ。
自由ってこういうことだわ。まさに。/アドルフ・アイヒマンは裁判で「命令に従っただけ」と主張したわけで。彼にはホロコーストを指揮しない自由があったのに。
では、その自由がたいせつではないと考える人間が一人でもいたらどうか? 私はそうだ。そんな人間にとって、公務執行の妨害はゆるされない。自由を合言葉に、自由を認めていない人間までどうこうするのはおかしい。
うえは『うえからの命令の機械的な「執行」』に従わないやつを採用しないという自由を既に行使しただけのはなし
もっと読みやすく書いてほしい。
「「公共の利益を そこなうような自由は みとめられない」という かんがえにたいしては、わたしは ぜんりょくで 反対したいとおもいます」するもしないも自由の杖を一振り。
これってアナキズム?信念としてはおもしろいけど/日本語の分かち書きはやっぱり読みにくいです
自由に振舞うのは確かに個人の勝手だが無責任は勘弁な。どう考えてもテロリストの思想だぜそれ。
道徳に縛られ自由を欠くことを批判する、だがその人もまた、思想に縛られ自由を欠いているのだ、と私は思うがね。
導入部は首肯したが何かどんどんズレていく感が。
民主的だとか自由だとか共産だとか政党って名前の意味がよくわからんねw 金持ち優遇党、庶民優遇党とかわかりやす(ry
読みにくい。
人に迷惑をかける自由を許容するというのは、同時に迷惑をかけられるのを許容するということ。だからそんな「迷惑な自由」は許容されないんだけどね。
神様は何も禁止してなんかいない。1984的に制限され改変されていく"自由"の意味を取り戻す自由を!
カウンターアタックとして必要な言明
いんあざーわーずテラ豚丼http://d.hatena.ne.jp/toled/20071202/1196589952/法を破ることを奨励しているんじゃなくて、法を守ったこと/破ったことは、常に再び問われつづけなければいけないってことだと思うけど。
おまわりさんが公務を執行するのもしないのもおまわりさんの自由
自由を拡大解釈する癖に、他人にはその自由を認めない人の語り
「自由」を絞り込むことでしか「決定」は得られないにも関わらず、それを楯に公職者の「決定」を批判するのはなぁ。
どうでもいい話だとは思わんが,ところでこのひとの考え方において,「対話」と「妥協」はどこかで担保されているの?
厨二病的。じゃあ俺はおろかものでいいや/思想的な自由と社会性における被制約なそれを混同しちゃだめだろ。両者の線引きを論じることは大事であるけど、制約それ自体を否定することのどこに社会性があるというんだ
オブジェクト指向的か手続き的かの視点の差。全てをオブジェクト指向的にして社会が回るならその通りなんだが、実際にはそれじゃ回らない。言葉遊びの域を出ない。
どうでもいいどころかすごく重要な話だよ!!!読めよ!!!
↓読みにくい言うてる者ども半年ROMれ!読みにくいじゃなくて読みなれてねーだけだろが
自由という概念を、ここでは違法の自由を認めるものまで拡張しておく。すると違法の自由を実力行使で押さえ込む自由も、法律を遵守し死刑を命ずる自由も存在する。彼こそ自由をなめてるのでは。あと読みづらい。
どうでもいいが、ひらがなばかりで読みにくい。↑慣れる必要があるということが「読みにくい」という事だと思うが。(ギャル文字とか)/この程度の意見は何度も見ている。目新しさは皆無だ。本人は画期的なつもり?w
なんかカントに関する理解が細かい部分で微妙にずれてるような気はする。/みんな道徳法則くらいは知っておこうよ、、、
こういう話は「理解できない」ということにしておくと脳が楽だ、と潜在意識で感じている人が多そうな感じ
"オマワリたちは みずからの自由を否認しているのみならず、他人の自由をも否認しているのです。おそろしい道徳的退廃というべきです。"/「よみやすさって、なんだろう」http://d.hatena.ne.jp/hituzinosanpo/20080707/1215442015
警官は職務を遂行しているに過ぎない。それを妨害するのは法的に罰せられるけどそれをする自由が認められないとしたらとっても恐ろしいですよね。批判している人は立場が変わったときあっさり受け入れるのかな。